2023年5月8日月曜日

第1章第1節 部落差別とはなにか

第1章 部落差別を語る
第1節 部落差別とはなにか

 1995年12月号の『信徒の友』に、東北学院大学・A教授が、このような文章を掲載していました。

 <それから、先進国の若者ほど人生の進路に悩むという問題があります。 昔は武士に生まれたら武士、百姓に生まれたら百姓で一生を終わるのがあたり前でした。 今でも「近代化」の波に洗われていない伝統的な社会では、人々は遊牧民に生まれたら遊牧民、農民に生まれたら農民ということにあまり疑問を感じていません。 しかし現代日本のような社会では・・・>

 この文章は、部落差別問題について書かれた文章ではありません。 しかし、Aの教授は、自分の議論を展開していくために、江戸時代の身分制度を題材としてとりあげています。 「武士に生まれたら武士、百姓に生まれたら百姓」という封建的身分制度は、江戸時代の「士農工商」制度として知られています。 さらに言えば、この身分制度は、明治以降の近代日本の教育の中では、「士農工商・穢多非人」という形で歴史教育されてきました。 江戸時代の身分制度は、「武士に生まれたら武士、百姓に生まれたら百姓」だけでなく、被差別にある人々に対して、「穢多に生まれたら穢多」であることを強制する制度でした。

 居住と職業を強制する身分制度は、江戸時代の被差別民衆の上にも重くのしかかっていました。 身分制度に疑問を感じなかったどころか、大いに疑問を感じ、「士農工商」という縦一列の封建社会を横一列の社会に改革しようという農民一揆は、江戸時代を通じて数限りなく発生しました。 身分制度の最下層に身を置かれた「穢多非人」と呼ばれた人々は、封建的身分制度のまっただなかにおいても「脱賤」(被差別民衆)がその出身を隠して一般の側に身を置くこと)という方法で、身分制度の重圧をはねのけ、それに抵抗していきました。

 A教授は、「『近代化』の洗われていない伝統的な社会では、人々は遊牧民に生まれたら遊牧民、農民に生まれたら農民ということに、あまり疑問を感じていません」・・・と書いていますが、伝統的な社会であればあるほど、遊牧民は遊牧民としての、農民は農民としての抑圧と悲哀を感じているのではないでしょうか。

「解放の神学」運動が展開されてきた、南米やアフリカ等の民衆の人権確立の運動は、前近代的・封建的身分制度からの解放運動をも内包しているのです。 ちなみに旧約聖書は、遊牧民屋の被差別・被抑圧からの抵抗と解放の物語(歴史)ではないのでしょうか。

自分の国を「先進国」と位置づけることになにのためらいも感じていない東北学院大学・A教授は、その対局にある<後進国>(<開発途上国>ともいう)の人々に対して、彼らの置かれた現状を無視した、「俗説」を展開しているように思われます。 「農民に生まれたら農民ということに、あまり疑問を感じて」いない人々・・・。 よく「寝た子を起こすな」ということが言われますが、A教授によってこのように表現されている<後進国>の人々は、まさに「寝た子」にあたります。 また、彼らは、起きようとしているのに、様々な政治的抑圧のもとに、「寝た子」であることを強制されているひとびとであるともいえるのです。

 <後進国>の人々に対する<俗説>を展開しているA教授は、「先進国」「現代日本のようさ社会」に対する正しい認識を欠きます。 「しかし、現代日本のような社会では・・・」と続く文章は、現代の若者の動向を綴る文章へとクロスしていきますが、この文章によって、A教授は、「先進国」日本の社会には、もはや、<後進国>、昔や今の伝統的な社会で見られるような身分差別(職業差別を含む)はないと主張しているように思われるのです。

 封建的身分制度は、ほんとうに私たちの社会からなくなったのでしょうか。 江戸時代の身分制度は、「先進国」日本にも、部落差別という形で継承・温存され、場合によっては、資本主義の社会的・経済的構造の中で拡大・再生産されているのではないでしょうか。

 A教授の文章は、統一教会やオウム真理教などのカルトの問題をとりあげ、教会がそのカルトに囚われた若者を救済する必要を訴えているのですが、A教授は、「人間とは、自分を本当に受け入れてくれる人に出会うと「変わる」ことができる存在なのだ」と強調します。 同感するところですが、今日の教団や教会は、被差別部落の民衆を、また被差別部落に代表される多くの被差別民衆を、「本当に」受け入れることができるのでしょうか。 また受け入れているのでしょうか・・・。 多くの教会で一般的に見られる、「寝た子を起こすな」という言葉に代表される、「無関心」「ひとごと」「さわらぬ神にたたりなし」といわれるような対応は、被差別民衆がイエス・キリストの救いにあずかることをさまたげることはすれ、決して彼らを教会に、「本当に受け入れる」ことにはつながらないでしょう。

 1995年3月、オウム真理教への強制捜査を撹乱するために、オウム真理教東京総本部火炎ビンを投げ込んで逮捕・裁判にかけられた元オウム真理教信者Iは、10月の初公判の意見陳述において、「自分は同和地区に生まれ育ち、いわれなき差別に苦しんできました」とオウム真理教への入信動機と被差別体験を語りました。 「一度は結婚したものの、一方的に離婚させられ、なにかにすがりたい一心だったとき、オウムの本に出会い、矛盾や疑問がとけたと思いました。 私のような悩みに苦しむ人を救いたいと思い、オウムに入信しました」と告白したのです。

 オウム真理教教祖・麻原彰晃は、自らが身体障害者であること、障害者差別問題に関与していることを力説しつつ、被差別部落出身ではないにもかかわらず、被差別部落出身となのり、そのことで被差別部落の青年を懐柔、とりこみ、彼らの解放のために労するのではなく、かえって、彼らを自己の野望の実現の道具として利用し犯罪へと駆り立てていった事実は、とうていゆるされるべきものではありません。

 I被告にとって、オウム真理教は、部落民としての彼を「本当に受け入れてくれる」存在ではありませんでした。 部落差別に関する啓発が、「部落」に対する「恐れ」をとりのぞき、その結果、「部落」をあらたな差別のもとに置く・・・オウム真理教にみられるような体質を、私たちはどのように払拭しているのでしょうか。 

 オウム真理教やカルトにとらわれていった青年たちを救済するには、部落差別に関する正しい認識を持つ必要があります。 東北学院大学・A教授の書いた前掲の文章を読む限り、教会が、あるいは基督教主義の大学が、被差別部落の人々にとって、「自分を本当に受け入れてくれる」存在になっているとは言い難いと思うのです。

 被差別部落の人々を受け入れる・・・ということは、(1)被差別部落の歴史的状況を正しく把握する、(2)被差別部落の今日的状況を正しく把握する、(3)被差別部落の人々と<未来的状況>を共有することを意味します。

 「部落」とは、昔、なにだったのでしょう。 今、ないなのでしょう。 そしてこれから、なにでありつづけるのでしょう。 被差別部落の人々を受け入れるというのは、この三つの問題に答えることができてはじめて可能なことがらなのです。 被差別部落民衆のレーゾンデートル(存在理由)を共有する、そのことができてはじめて、部落の人を「本当に受け入れる」ことに繋がるのです。

 被差別部落の人々に、「<現在>のあなたなら受け入れましょう」というのは、受け入れることを拒否しているに過ぎないのです。 他者を本当に受け入れるというのは、被差別民衆の<現在>だけでなく、過去・現在・未来、神によって生を与えられたその全存在を受け入れることと同じなのです。

 権力によって、「百姓に生まれたら百姓に」という生き方を強制されることと、農民が、農民であることに誇りと生きがいとをもって、農民の道を選択していくこととは、まったく違います。 被差別部落の人々が、国家や社会によって「部落に生まれたから部落」という生き方を強制されるのと、部落民が、自分たちの歴史を掘り起こし、再解釈し、被差別に置かれながらそれに負けず、破れても破れても戦い続けてきた歴史を自分の手に取り戻し、今日の部落民として生きるその姿勢に反映させ部落民としての明日を切り開いて行こうとする生き方を選択するのとは、まったく次元が違います。 部落を受け入れる・・・というのは、部落の過去・現在だけでなく、未来をも受け入れることなのです。

 しかし、当教区には、前述のような受容の仕方とは異なる受容の仕方が存在しています。 。1992年、北海道から沖縄までの教区・教会を対象にして、部落解放全国キャラバンが実施されました。 その際、西中国教区・K牧師(教区の旧執行部)によって、「なぜ、被差別部落出身を名のり、強調するのか。 だまっていればいいのに。 いまさら、ことさら部落出身を名のることはないのに。 」という発言が、部落解放全国キャラバンに参加していた部落出身の牧師に向けられました。 その経緯は、「走れキャラバン」という本にまとめられていますが、その発言について、被差別の側からこのような反論がなされています。 「言葉を変えていうならば、部落の者は差別から逃避し、差別に立ち向かうことをやめて生きていきなさいと奨励している」。 この発言は、「部落差別をなくそう、部落を解放しようと頑張って運動をしている部落大衆にとっては許すことができない発言」だと言われています。

 そのあと、K牧師と話をしたことがありますが、K牧師は、彼がなぜ差別だというのか、よくわからないというのです。 私は、K牧師が部落差別についてこれまでいろいろな形で取り組みをしてきたことを知っています。彼は決して、部落解放全国キャラバンに参加した部落出身の牧師を差別するためにあのような発言をしたのではありません。 部落差別はなくなればよい・・・それは彼のこころからの願いでもありました。 彼は彼なりに部落差別に取り組んできた果に、彼は、まさにこの問題に直面したのです。

 彼によると、部落差別を江戸時代の身分制度が今日まで残っている封建遺制の問題として受けとめていたというのです。 封建遺制の様々な問題は社会の近代化と近代的人権意識の確立でやがて解消する。 「部落」であるという理由で、誰も差別したりされたりしない時代がやってくる。 それなのに、なぜ、いまあえて、部落を名のって運動を展開しようとするのか(時代に逆行することにならないか・・・)。 K牧師の言葉は、彼ひとりの言葉ではなく、日本基督教団の部落解放センターの<部落解放運動>と、西中国教区の<同和問題との取り組み>のギャップを物語るものでした。 なぜ、教団の解放センターと西中国教区の取り組みの間に、そのような認識と意識の違いが生じたのか。 それを検証し、克服していくことは、K牧師だけでなく、西中国教区全体の課題でもあるのです。

かって、宗教者の差別性が問われた事件に、町田差別発言事件があります。世界宗教者平和会議第3回大会で、山口県の禅宗の僧侶・町田さんは、「日本に部落問題は存在しない「国も地方自治体も誰も差別していない」と、現在の日本の社会の中に、部落も、部落差別も存在していないと主張しました。 彼は、「過去」の部落の存在は認めても、「現在」の部落の存在を認めようとはしなかったのです。「現在」の日本の社会には、封建遺制(封建的身分制度)はないと、東北学院大学A教授の主張と同様な主張をしたのです。 部落の「現在」を否定する、そのような僧侶・町田さんにとって、部落の「未来」、部落の「明日」、部落解放運動の「展望」を語ること等、想像もできなかったことでありましょう。

部落差別は、人間と人間外人間を区別する、差別者と被差別者を区別する非人間的な行為です。 いかなる理由があっても、部落差別は存在してはなりません。 部落出身であろうとなかろうと、誰ひとりとして「部落」の名をもって差別されるということがあってはならないのです。

しかし、そのことは、「部落は存在してはならない」とか「部落民は存在してはならない」とか、そういう発想とは結びつきません。  山口県では、学校同和教育や社会同和教育の場面で、その講師が、同様の差別発言をよく繰り返します。 なくならなければならないのは、部落<差別>であって、決して部落でも部落民でもありません。 <差別>という言葉の持っている重みを考えるべきです。「昔は武士に生まれたら武士、百姓に生まれたら百姓で一生を終わるのがあたり前でした。 今でも「近代化」の波に洗われていない伝統的な社会では、人々は遊牧民に生まれたら遊牧民、農民に生まれたら農民ということにあまり疑問を感じていません。 しかし現代日本のような社会では・・・」という文章は、現代日本の社会に、今も封建遺制の残渣、部落差別に苦しむ被差別民衆が存在しているという事実を一蹴し、読者に誤った認識を与える可能性があります。 部落差別だけでなく、封建的な差別政策の影響を受けている今日のさまざまな差別の局面を看過させることにもつながります。 日本の農村社会に、フィリピンをはじめアジア諸国の女性が嫁ぎ、「昔」の農民と変わらざる環境に置かれている事実は、どのように受けとめられるのでしょうか。

東北学院大学A教授の書いた文章には、現代日本の社会には、江戸時代のような身分制度はないこと、ひいては部落差別はないこと、そのような思想がみえかくれしているように思います。

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目次

 『部落差別から自分を問う』の目次 はじめに 第1章 部落差別を語る  1. 部落差別とはなにか  2. 部落<差別>とはなにか  3. 部落差別はなくなったか  4. 部落の呼称  5. 認識不足からくる差別文書  6. 部落の人々にとってのふるさと 第2章 差別意識を克服する...