2023年5月8日月曜日

はじめに

 この文章を書くことになったのは、1995年の夏、京都教区の部落差別問題夏期研修会に参加した際、近江平安教会の N さんから、「いままで、いろんな話を聞いてきたけれど、一度文章で書いたものを読んでみたいわ。 もう、自分の差別性を見つめながら、部落解放運動にかかわることでどう自分が変わったか、書けるんとちがう。 絶対に読むから書いて・・・」と言われて、「文章を書くのは苦手だけど、挑戦してみるかな・・・」と返事したことに端を発します。

 しかし、部落差別に関する文章を書くということは、ほんとうに大変です。 部落差別解消を願いながら、書き上げた文章が差別的であったら、かえって逆効果を招く・・・、そんな思いがいつもあって、なかなか文章化作業をすすめることができませんでした。

 昨年の11月、12月、西中国教区の宣教研究会が発行した『洗礼を受けてから』の部落差別に関する文章の<差別性>が取りあげられ、宣教研究会の委員と、部落差別問題特別委員会の新旧委員とで、<差別性>の検証と問題解決に向けて対応策が検討されることになりました。 そのような委員会で、いくつもの差別的な表現・思想が出てきました。 東岡牧師の顔がくもる、そんな場面がいくつもありました。 この問題は、1996年度も継続され、西中国教区の今後の部落差別問題との取り組みの方向が定められることになるでしょう。 いままで、いろいろな差別事象がありましたが、なにひとつとして解決されることなくほうむりさられていったことを考えると、今回の取り組みは、部落差別事象に対する西中国教区の最初の問題解決への試みです。 できるかぎり、有意義な作業にしたいと、あえて文章化をこころみたのが、第二の動機で、第1章はその委員会のために書きました。

 第2章、第3章は、1996年1月29日に予定されている第3回委員会で配布するために、クリスマスの日から、年末・年始にかけて、2週間以上の日数を費やして書き上げました。 解放同盟新南陽支部の解放学級に参加していただいた膨大な資料をアトランダムに引用しながら、思いつくままに文章化しました。 原稿用紙300枚を超える文章を一気に書くことは、生まれてはじめてなので、毎日、夜遅くまで、タイピングを続けました。

 今年、京都教区の夏期研修会で会ったら、Nさんに是非感想をお聞きしたいと思います。 (1966年1月11日記)

0 件のコメント:

コメントを投稿

目次

 『部落差別から自分を問う』の目次 はじめに 第1章 部落差別を語る  1. 部落差別とはなにか  2. 部落<差別>とはなにか  3. 部落差別はなくなったか  4. 部落の呼称  5. 認識不足からくる差別文書  6. 部落の人々にとってのふるさと 第2章 差別意識を克服する...