2023年5月12日金曜日

第1章第3節 部落差別はなくなったか

第1章 部落差別を語る
第3節 部落差別はなくなったか

 もし私が、東北学院大学教授Aの文章を、部落差別に関して、「差別文書」ないしは、「間違った認識を助長する文章」であると、問題提起したとしたら、どうなるのでしょう。

 私はいままで、西中国教区部落差別問題特別委員会の委員としての若干の職責を果たすために、差別事象(差別発言や差別行為)に遭遇するごとに、その差別性を指摘してきましたが、他者の差別性を指摘するということは、それほど簡単なことではありませんでした。

 山口県で被差別部落の歴史を発掘してきた北川健先生は、社会同和教育等の不特定多数の人々の前で、部落差別に関する指摘をすると、顔に火がついたような思いをする・・・・といっておられました。 聴衆の差別に満ちた眼差しが、一瞬に講師に向けられるからです。 「あの人は、熱心に同和教育に関わっているから、同和ではないか・・・」と言われるようになります。 北川健先生は、部落差別は、「自分の身をさらして語る」ことなくして語れないと言われます。

 北川先生がよく言われる言葉に、<自分はずし>という言葉があります。 <自分はずし>というのは、部落差別について言及したり、部落差別を指摘したりするときに、「私は部落出身ではないけれども・・・」と、自分を問題の枠外に置きながら部落差別の話しをするという姿勢です。

 部落差別について少しでも学べば、同和教育の「たてまえ」と違って、現実の社会には部落差別が歴然として存在しているのに気付かされます。 
差別事象(差別発言や差別行為)の指摘は、指摘されたものにさまざまな精神的葛藤と、また、指摘したものに対して中傷と攻撃、疎遠を引き起こしてしまいます。 部落出身であってもなくても、差別事象の指摘は、いまも、「顔に火のついたような思い」をしなくてはなし得ない行為であるのです。

 私は、他者の差別性を「問う」ときは、いつも同じ差別性についての問いをみずからに問いかけなければならない弱さをもっています。

 新約聖書のルカによる福音書に、「よきサマリヤ人」のたとえ話があります。 その内容は、聖書本文を読んでいただくとして、このたとえ話には、古来からいろいろな解釈があります。 しかし、部落差別問題について、この聖書の言葉からなんらかの示唆を受けるために、私はこのように解釈します。

 エリコという町へ旅をする途上、あるひとが山賊にあって身ぐるみはがされ半殺しの状態で山中に放置されます。 そのあと、そのかたわらを3人の人が通り過ぎて行きます。 祭司とレビ人と、サマリヤ人です。 

 聖書のたとえ話の中には、これら3人の人がどのような「思い」で、それぞれの行為を選択したのかは記されていません。 しかし、もしこのことがあとで、多くの人に、現代社会で言えば多数のマスコミが押し寄せてきてあれやこれや発言を求められ問われたとしたら、彼らはどのように答えたのでしょう。

 祭司とレビ人がする弁明は、推測に難くありません。 彼らはこのよう答えるのではないでしょうか。 「あの場所は山賊が出る場所なのですか。 私は知りませんでした・・・」。 「私が通り過ぎた道のかたわらに、山賊に襲われて傷つき倒れた人がいたなんて、いえ、まったく気づきませんでした・・・」。 知らなかったということが、気付かなかったということが、すべての責から自分を免罪するかのごと主張すると思うのです。

 「知らない」という言葉は、<差別者>が<被差別者>の前で身にまとう最初の<隠れ蓑>なのです。 なかには、1年たっても、2年たっても、3年たっても、10年たっても、こと部落差別に関しては、「知らなかった」、「知らなかった」・・・、と連発する人がいます。 それで本人も周囲も納得してしまうのです。

 彼らは、あとからやってきたサマリヤ人が、傷つき倒れた旅人を助け起こし介抱して宿屋に連れて行き適切な処置をしたという事実をつきつけられて、それをどのように受け止めるのでしょうか。 祭司やレビ人は、サマリヤ人の行為を認めるどころか、倒れた人に示した彼らの姿勢、無関心と疎外、差別と蔑視のまなざしをもってこのサマリヤ人をも見たのではないでしょうか。 彼らにとっては、<罪人>とまじわるものは<罪人>でしかなかったからです。

 サマリヤ人は、祭司やレビ人と違って、神学に精通し、信仰に奥深さを持っていない存在であるのかもしれません。 しかし、祭司やレビ人の目から見て、無学で不信仰と思われていたサマリヤ人こそ、イエス・キリストの福音に忠実に生きようとする人間の姿ではなかったでしょうか。 

 このたとえ話を、部落差別を考えるときのひとつのモデルとして解釈するとき、たとえ話に出てくる祭司やレビ人の姿こそ、今日の日本基督教団の牧師や信徒の現実の姿ではないかと思えるのです。 傷つき倒れた旅人のかたわらを見てみぬふりをして、黙って通り過ぎたとしても(差別事象を看過しても)何の痛みも感じないですませることができるのです。 むしろ、そうすることが彼らの「正義(ただしさ)」でもあるのです。 彼らが見て見ぬふりをして通り過ぎた差別事象は、そのことを指摘し、問題にする人がいなければ、その事実は、永遠に問題にされることなく、彼ら自身のありかたも誰からも問われることなく闇から闇へと葬りさられていきます。

 もし、サマリヤ人のような人が存在して、傷つき倒れた旅人に共感し、彼の隣人となり、山賊(権力)と祭司やレビ人(差別の傍観者)の現実を指摘し、問題提起をし、彼らの差別性や罪を問うというようなことがあったとしたら、サマリヤ人は周囲からどのような対応を受けるのでしょうか。

 前述のように、差別を指摘された人は、多くの場合、「何も知らなかった・・・」という万能の隠れ蓑に自分を包み込んで、自分の免罪を図るでしょう。 意図的な差別をするつもりはなかったこと、それでももし差別したとしたら、それは無意識的・無自覚的にしたのであって、彼の本意ではないことを主張するでしょう。

 しかし、サマリヤ人との対話の中で、自分の差別性に気づきはじめたとき、現代の祭司やレビ人は、自分のこころの中の良心に耳を傾け、自分の差別性を認めるのではなく、その問題を指摘した人に対して、かえって激しい憎しみと敵意を持ち、場合によってはなりふりかまわず反撃をしかけてくるのではないでしょうか。 「ひとの差別性を指摘するおまえには、差別性はないのか! 」 「私は差別意識を持っていない。 単なる言葉尻をつかまえて、おまえはおれを差別者にしたてようとするのか! 」 「糾弾するならしてみろ。おれにも考えがある! 」・・・。 具体的なできごとの中で、何度も耳にした言葉です。

 イエス・キリストのたとえ話は、現代の祭司やレビ人である私たちが、私たちの差別性を問う<被差別>からの問いにまったく無恥・厚顔になりうることを示しています。本当にイエス・キリストの福音に立脚していなければ、祭司やレビ人の側からサマリヤ人の側へ、自分の立ちどころを変えることはできないのです。 <被差別>の声に耳を閉ざし、自己弁明と自己保身に終始し、かえって、差別性を指摘する人々を孤立させ、疎外と抑圧の対象にしてしまうのです。

 たとえ話の祭司やレビ人は、決して不信仰の人ではなく、信仰的な人たちです。自分たちの信仰の深さを自負してやまない人々です。 だからこそ、傷つき倒れた隣人のかたわらを見て見ぬふりをして通り過ぎる、部落差別問題に関わりをもつことをためらい遠ざかる、その姿勢が問われるのではないでしょうか。

 職業差別を中核とする、封建的身分制度の残滓は、今もなお私たちの社会に存在しているのです。 東北学院大学・A教授が語るように、歴史認識に枠外にはずしていい過去の問題ではありません。 むしろ、近代日本の社会にあっても、さまざまな形に変形しつつ近代資本主義の民衆支配の道具として、拡大・再生産されつつ、より陰湿な形で存在し続けているのです。 

 被差別部落の人々(彼らは同じ被差別部落の人々を「同胞」と呼ぶ)だけでなく、被差別部落の人々と共に生き、共に闘おうとする人々(被差別部落の人々は彼らを「同志」と呼ぶ)に対しても、同じような差別と憎悪とが向けられます。 江戸時代にも、開かれたこころと頭脳をもって、<部落差別>の枠を越えようとした人々は少なからず存在していました。しかしそのような人は、<穢多>と交わり、<穢多>と共に生きる・・・、ということで<穢多>身分に落とされてしまいました。 封建時代からまとわりつく、部落差別の幻影は、今日の私たちの精神構造の中にも深くその影を落としています。 たとえ話に出てくる倒れた人だけでなく、彼に近づくサマリヤ人も忌避と疎外の対象になってしまうのです。

 私のささやかな取り組みの中でも、西中国教区の先輩牧師からこのような言葉が投げかけられました。 「人が誰でも避けて通る問題に殊更熱心になるのは、お前の人格になんらかの欠陥があるからだ。」と繰り返し力説する教職。 「そんなに熱心に部落差別と関わるなら、牧師をやめて、解放運動に専心したらよかろう。 あんたには、それが似合っている。」と、恐ろしく差別的な発言をする牧師。 「あなたに向かって同和に関する差別発言をしたのは、あなたがほんとうに同和問題に取り組もうとしているのかどうか確かめるためで、決して悪気で言ったのではない。」と、どう受けとめていいのかわからないほど、屈折した言葉を後輩の牧師である私に投げかけてくる先輩牧師・・・。

 誰でも、部落差別問題が机上の学習であるかぎり、これらの差別事象に遭遇することはないでしょう。 しかし、被差別部落の人々と交流し、部落解放運動にかかわり、自分の身の回りにおける差別事象について、何ごとかを語りはじめるとき、私たちは、部落出身であろうとなかろうと、まるで、私たちが部落出身者であるかのごとき差別的な場面に直面させられることになるのです。

 しかも、差別してくるのは、あたから最も遠い人々がそうするのではありません。 あなたの最も身近な人々が、あなたをこれまでとはまったく違った視線で見るようになり、気がついたときには、あなたは周囲から完全に孤立し、疎外と蔑視の中に立たされていることでしょう。

 差別はあるのか、ないのか・・・。その問いに対する答えは一つしかありません。 封建時代から遠く隔たった現代社会の中においても、いまだに根深く存在しているのです。 部落差別が存在することを経験的に知る最短の方法は、北川健先生がいわれるように、最初から<自分はずし>をしないで、部落<差別>について語り始めること。 あなたの身近なところで、学校や職場で、家庭や教会で、差別について語りはじめること。 部落差別の現実は、あなたが部落民であることを告白することでも、部落民になることでもなく、被差別部落の人々の隣人になるとこで、直接経験することができるのです。 あなたから遠い人ではなく、あなたの最も近い知人・友人・隣人があなたを差別しはじめるからです。


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目次

 『部落差別から自分を問う』の目次 はじめに 第1章 部落差別を語る  1. 部落差別とはなにか  2. 部落<差別>とはなにか  3. 部落差別はなくなったか  4. 部落の呼称  5. 認識不足からくる差別文書  6. 部落の人々にとってのふるさと 第2章 差別意識を克服する...