2023年5月14日日曜日

第1章第4節 部落の呼称

第1章 部落差別を語る
第4節 部落の呼称

    1995年12月1日発行の『解放へのはばたき』(第49号
)に、「部落差別問題Q&A 第11問」という文章があります。 その中で、

■今日はぜひお尋ねしたいことがあります。
□あらたまって何ですか。
■部落解放についてです。 部落解放、部落解放とよく聞きますが、その内容がよく解らないのです。 まず部落という言葉です。
□部落解放と言うときの部落は被差別部落をさします。
■未解放部落ということを聞いたことがありますが、同じなんですか。
□たしかに未解放部落と呼んだ時代もあります。
■なぜ、被差別部落に変わったんですか。
□未解放部落だと、いわゆる部落だけが『未解放』で、あとは解放されているように受けとられたからです。
■なにか「部落」だけに問題があるからという誤解を招くからですか。
□それもあります。 「未解放」と言うと、何からの解放か、解放を妨げているのは何かが見落とされてしまうからです。

    少しく引用が長過ぎましたが、この文章を書いたのは、日本基督教団部落解放センター委員の方です。

    最後の問いと答えについて、少し考えていきたいと思います。 ご存知のように、江戸時代の身分制度の中で、「穢多・非人」と言われた人々は、「穢多部落」「非人部落」と呼ばれた地域に居住することを強制されていました。 しかし、明治以降は、その差別的な呼称は廃止され、行政用語としては「特殊部落」という言葉が使われました。 しかし、 この言葉は、「穢多部落」と同じように差別的な響きの強い言葉でした。 「特殊」という言葉は、<特殊>技術とか、<特殊>技能とか、そういう言葉にみられるように「優れた」内容を表現する時に用いられます。  しかし、部落差別に関しては、社会的・身分的に劣位にある人々を指して「特殊」という言葉が用いられたのです。 この逆転した発想の中に差別性が認められるのですが、1922年の水平社宣言では、部落の人々が自分自身を指してこの言葉を用いています。 「全国に散在する特殊部落民よ団結せよ!」。 被差別部落の人が自分で自分を「特殊部落民」と呼んでいるのですが、しかし、この言葉の使い方には注意が必要です。 なぜなら、水平社宣言と同時に出された「決議」においては、「吾等に対してえた及び特殊部落の語をもって侮辱の意思を表示したるものは徹底的に糾弾する」との宣言があわせてなされているからです。

    部落のひとが、差別用語であると認識しつつ自らを表現する呼称として「特殊部落民」という言葉を用いたことが、戦後、問題となり、「特殊部落」に代わる用語が求めれるようになりました。 そこで登場したのが、「未解放部落」という表現です。 部落解放全国委員会(のちの部落解放同盟)の北原泰作氏は、その著書『屈辱と解放の歴史』のはしがきで、「未解放」とは「封建的身分差別から解放されていないという意味」である旨明記しています。  『解放へのはばたき』(49号) の文章は、「「未解放」というと、何からの解放か、解放を妨げているのは何かが見落とされてしまうからです・・・」と語っていますが、未解放という言葉は、あいまいな意味内容の言葉ではなく、「封建的身分差別」からの解放をさす言葉として意図的に部落解放運動の中に導入された言葉です。 「何からの解放か」という問いに対して、明確な解答を提出するものでした。

    しかし、「未解放」という言葉は、早い時期に意味内容の不備がとりあげられ、他の言葉「被差別部落」に置き換えられていきます。 部落解放運動の進展の中で、部落解放運動は、「封建的身分差別」からの解放だけでなく、部落差別が封建遺制の残滓として、それを「許し利用している資本主義と権力」に よって拡大・再生産されているという分析と認識から、部落、封建遺制としての部落差別に対する闘いを越えて、差別を民衆支配の道具として利用する資本主義や権力がつくる新たな差別に対しても闘う必要に直面するのです。 この解放運動の内容をあらわすに耐える部落に対する呼称として、「未解放部落」という言葉に変えて、「被差別部落」という言葉が用いられるようになるのです。1950年代半ば頃から使われはじめましたが、一般的に用いられるようになったのは、1960年代半ば頃からでした。 「未解放部落
」から「被差別部落」への呼称の変更は、「現代の部落問題を封建遺制とする見方から、現代資本主義とその権力の人民収奪と支配の一形態であるという見方への移行」(井上清説)が意味されていたのです。 

    部落差別が単なる封建遺制なら、黙っていても、何もしなくても、時代と共になくなってしあうでしょう。 しかし、現代の権力や社会がそのことを民衆支配の道具として利用し、差別をあらたな形で再生産しようとするなら、そのようなあらたな力に対して運動を展開する必要が出てくるでありましょう。 戦後の部落解放運動は、歴史の過去の差別だけでなく、新しく補強され強化されていく現在の差別や未来の差別も部落解放運動の射程におさめたものです。

    日本基督教団西中国教区の宣教研究会から出版された『洗礼を受けてから』という新書版に記載された部落差別に関する文章の中に、部落に関する呼称と部落解放運動の変遷に関する明確な認識がみられます。

    「差別の問題、たとえば冒頭の未解放部落差別をはじめとして・・・(中略)たとえば、未解放部落(被差別部落)について、この問題を封建遺制だと考える人たちがいます。徳川時代に作られた過った制度や考え方が、今日も観念の残存として残っているという見方です。 (中略)部落問題は、現に日本にある6000部落の被差別部落、300万人たちの現状を知り、差別の実態や、解放運動の働き、その思想を学ぶことを抜きにしてはかかわりえない問題です>。

    この文章の著者は、「未解放部落」「未解放部落(被差別部落)」「被差別部落」と、表現を意図的にかえつつ、日本基督教団西中国教区の諸教会が、部落をどのように呼ぶか、その範例を提示しているのです。 宣教研究会のこの文章は、当時の西中国教区の諸教会の部落差別に関する意識・運動に対して先駆的意味合いをもっていました。 『洗礼を受けてから』の改訂版が出されてから3年後、西中国教区の「未解放部落セミナー」は「部落解放セミナー」へ名称変更されました。 

    『信徒の友』に記載された東北学院大学A教授の歴史理解と違って、『洗礼を受けてから』の文章は、部落解放運動の理念を積極的に評価した文章でした。

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目次

 『部落差別から自分を問う』の目次 はじめに 第1章 部落差別を語る  1. 部落差別とはなにか  2. 部落<差別>とはなにか  3. 部落差別はなくなったか  4. 部落の呼称  5. 認識不足からくる差別文書  6. 部落の人々にとってのふるさと 第2章 差別意識を克服する...