2023年5月15日月曜日

第1章第5節 認識不足からくる差別文書

第1章 部落差別を語る
第5節 認識不足からくる差別文書

    数日前、教会に部落解放同盟新南陽支部の青年会長さんが来られました。 そして、いつものように部落差別と部落解放運動について話をしました。 1995年12月4日付けの中国新聞に「寒い心映す<落書き>」と題した記事が掲載されていました。 新南陽支部の取り組みが紹介されていますが、そのコピーを持ってきてくださったのです。

    それは、山口県徳山市・市立図書館の閲覧室の机に刻みこまれた差別落書きに関する文章です。 その差別落書きは、学校が夏休みの間(7〜9月の間)、徐々に書き込まれていったもので、「ヨツはみんな死んでしまえ」と言った被差別部落に対する過激な差別発言から、身体障害者やその他の人々に対する差別発言が机に刻み込まれていました。 図書館の掃除をしているおばさんが、拭いてもふいても消すことができないほど、鉛筆やボールペンで深く刻み込まれていました。 夏休みの間、図書館を利用した小学校の教師によって発見され、何人かの休止の口伝えで、山口県徳山市立A小学校の教師で、部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加しているB教諭の耳に達したのです。 依頼を受けて、事実確認のため私も同席し、図書館司書の方と一緒に差別落書きの写真を撮りました。 時間をかけて複数の人間によって書き込まれた落書きであることは明白でした。 部落解放同盟新南陽支部の書記長をされている方は、「たくさんの人の目に触れたはずなのに、誰一人として図書館に伝えていない・・・」と指摘しています。 ほとんどの人が、それが差別落書きで、被差別部落の人や身体障害者に対する差別と侮辱の言葉であることを知りつつ、黙って通り過ぎて行ったのでした。

    山口県徳山市立図書館差別落書き事件が明らかにされたとき、山口県高教組や全解連(いずれも共産党系組織)が、行政に対して、解放同盟の訴えを取り上げないように要請行動を展開しました。 彼らは組織をあげて、差別落書きは部落解放同盟の自作自演ではないか、部落解放同盟は、最近差別事件が少ないので差別事件をやっきになって探している・・・と主張しはじめているのです。

    山口県徳山市立図書館差別落書き事件の最初の事実確認と、市当局との最初の交渉に、私も、一市民として立ち会わせていただきましたが、高教組や全解連が主張するような事実はどこにもありません。

    「ヨツはみんな死んでしまえ」という差別落書きの言葉は、被差別部落の人々にとっては胸にズキンと突き刺さる言葉です。 <ヨツ>という差別語は、<四本指>の略語で、<五本指>(五体満足な人間という意味)を前提として、一本指が足りない・・・、つまり、普通の人間ではないことを意味しています。この言葉は、部落差別の歴史の中で、ずっと被差別部落の人々に向けてなげつけられて来た差別語であることは説明するまでもありません。

    十数年前には、山口県新南陽市T中学校で差別事件がありました。それは理科の授業でフレミングの法則を教えている最中に、担当の教師が、何を思ったか突然、生徒の前に四本指を出して、「九州でこういうことをしたら殺される」と生徒に教えたのです。 そのクラスにいた部落出身の生徒の訴えで、この差別事件が明らかになりました。

    また、1989年、西中国教区部落差別問題特別委員会委員長の目の前で、四本指を突き出して、「あいつらはこれだ」と差別行為に臨みました。 <四本指>という言葉は、今も被差別部落の人々を差別する言葉として力を持っています。

    西中国教区宣教研究会は、『洗礼を受けてから』の改訂版(1972年)を出すときに、初版に、部落差別に関する文章を追加しました。 その文章の見出しが、「五本目の指を」という見出しです。 西中国教区は、部落差別問題をとりあげるとき、「部落差別問題」ではなく、「五本目の指を」という刺激的な表象を採用しました。 在日朝鮮人差別問題については「在日朝鮮人差別問題について」でした。

    改訂版においては、差別語については、一定の扱いが見られます。

    「現在わが国には60万人以上に及ぶ在日朝鮮人がいます。 多くの日本人はかって彼らに<鮮人>とか<半島人>といった差別語を投げつけ、今なお彼らを外国人でも日本人でもないきわめてあいまいな人間とみなす傾向を持っています。」

 改定版は、差別語を用いる時、差別語に傍点をふりコメント付きで紹介しているのです。 1988年の新装改訂版では、この文章は、差別語を紹介することで、朝鮮人差別を助長することを恐れ全面的に削除され、在日朝鮮人差別に関する文章も全面的にかきあらためられました。

    しかし、部落差別に関する文章においては差別語<四本指>が、なにのコメントもつけられることなく引用され続けたのです。  朝鮮人差別問題を取り上げる際に払った差別語に対する注意をなぜ、部落差別に関する文章に置いては払わなかったのでしょう。

    <四本指>は、被差別部落の人々をさす代名詞として用いられ、そして、被差うは、別部落の女流詩人が歌った詩の題「五本目の指を」という題を、西中国教区の部落差別問題を取り組む際の姿勢を表す言葉として用いたのです。 西中国教区宣教研究会は、<四本指>が<五本目の指を>取り戻す運動として、被差別部落の人々の部落解放運動を捉えたことになります。

    差別文書には、二通りあります。
    ひとつは被差別部落に対して「侮辱の意志」をもって書かれた場合、それは典型的な差別文書になり、やはり被差別の側から、確認や糾弾を受けることになるでしょう。 もうひとつは「認識不足」からくる差別文書です。 『洗礼をうけてから』に記載された部落差別に関する文章も、この認識不足からくる差別文書にあたります。

    この問題を取り上げだした当初、牧師や信徒から、「なにが問題なの。 四本指が、五本指になりたいというのだからいいじゃないの。 普通の人間なりたいというのがなぜ悪いの・・・といった言葉を耳にしました。 この文章を書いた牧師と同じく、この文章の読者もこの表現についてなにの問題も感じてはいませんでした。

    このような理解は、キリスト教の信仰、聖書の教えとは絶対になじまないと思うのですが、この問題を問題として受けとめるひとはほとんどいませんでした。 もちろん、この問題は、西中国教区の部落差別問題特別委員会でもとりあげられましたが、「現在、教団の課題は、賀川問題であり、この問題に全力を注ぎたい。 それに、西中国教区は、教団出版局や部落解放センター等の責任ある立場の人の差別発言は追求しても、教区や教会、牧師や信徒の差別発言はとりあげない・・・」との委員長の方針でうやむやになってしまいました。 その当時の委員長は、山口県のH教会の信徒が委員長の目の前で四本指を出して差別行為に及んでいるのに、その場で差別行為を指摘することもなく、その後も、「牧師としての牧会的配慮」から差別事件とはしないとの立場をつらぬかれ、結局、うやむやにしてしまいました。 それから丸5年、時は経過し、前回の宣教研究会で明らかにされたように、差別行為におよんだH教会の信徒はいまは逝去されてこの世の人ではなくなっていました。誰が差別行為をしたか・・・、それを知りつつ、西中国教区は差別事件をもみ消してしまいました。

    キリスト教的人間観、聖書的人間観によると、人間はすべてアダムとイブの末裔で、等しく神によって創造された被造物です。 セム・ハム・ヤペテ、どのような人種・民族・国家・部族に属していても、誰ひとり例外なく、神のみ前に同じ人間であるのです。 聖書的人間観は、「人間外人間」を決して認めない人間観なのです。 <四本指>が<五本指>になるという差別的な論理を是認する余地はありません。

    しかし、『洗礼を受けてから』の著者は、この言葉に感動し、差別語であることに注をふることもなく、その裏返しの表現である「5本目の指を」という言葉を、西中国教区が部落差別問題を語る際の主題として用いているのです。繰り返しますが、被差別部落の人々は、ありのままで私たちと同じ人間です。 同じ神によって創られた同じ人間なのです。

    『洗礼を受けてから』の文章を読む限り、これらの文章が掲載され、それを読んだ牧師や信徒が誰も気がつかないで、気がついても無視してきた背景には、日本基督教団とその教区・教会の牧師・信徒の信仰と神学が、いつの間にかキリスト教源流の信仰と神学から大きく逸脱し、日本の封建遺制の差別にまみれた風土や文化にからめとられ、部落差別を否定する感性を失ってしまったことがあると思われます。

    「被差別部落をどのようにみるか」が問われているだけでなく、このような差別文章を長年に渡って放置した私たちの信仰や神学のあり様も問われているのだと思います。

    『洗礼を受けてから』の部落差別に関する文章の問題点は、その当時の、部落解放運動の流れをできるかぎり忠実に反映しようとの努力がなされていながら、「被差別部落をどのように受けとめるか」と言った一点で、大きく後退して、被差別部落をことさら暗く歌った詩「五本目の指を」を引用したことです。

    『洗礼を受けてから』の部落差別に関する文章を書いたのは、当時、山口県のⅠ市にある日本基督教団Ⅰ教会の牧師をしていたⅠ牧師ですが、彼は、できるかぎり、Ⅰ教会が立たされていた、そして、彼自身が立たされていた場所から部落問題を考えようとして、山口県H市でちいさな出版社から発行された詩集『部落』からこの詩を引用したのでしょう。

    しかし、この「五本目の指を」の作者真原牧さんは、その詩集の中で、このようにも歌っているのです。

    かくれみの 着なくて
    すむ
    時が きたら
    時が きたら
    四本指 のうたなんぞ
    誰が うたいましょう

    詩の作者は、このような歌は歌いたくない、しかし、目の前にある部落差別を訴えるために、あえて、「五本目の指を」を歌ったと思われるのです。

    私は思った
    私は泣いた
        生まれ出た家のひくいのきのこと
        ねこのひたい程の耕地をむさぼる
        ひとかたまりの部落民のこと
        血族結婚の末の精神異常者のこと
        若者たちは自暴自棄
        追い返された若妻
        テテなし子
    私は死のうと思った
        傷をいやす為に

    「五本目の指を」という詩は、詩集『部落』の中に掲載された彼女の詩の中で最も暗い詩なのです。 この詩を読むと、「これが部落差別だ」とつきつけられるものがあります。 衝撃を受け、こころ動かされるのも事実です。 しかし、そこで
わたしたちが納得するところのものは何なのでしょう。 「やはり、被差別部落は、うわさで聞いていたとおり、悲惨な人々の集まりだ・・・」という差別意識の確認以外の何ものでもないのではないでしょうか。

    この詩には、部落の<過去>と、そこに直結する<現在>だけが語られていて、部落の<明日>も<展望>も<希望>も、なにも語られてはいないのです。 この詩に歌われているのは、部落という<過去>を背負わされ、<明日>も<展望>も<希望>もない<現在>の部落の状況の中でもだえ苦しむ部落民の姿なのです。

    部落解放運動は、部落の
<明日>や<展望>や<希望>を取り戻す運動であるはずなのですが、『洗礼を受けてから』の部落差別に関する文章は、被差別部落について、なにの希望も展望も提示していないのです。

    しかし、在日朝鮮人差別についての文章の中では、在日朝鮮人は「独自の文化と歴史を持つ優秀な民族」であり、「民族教育の場を獲得しようとする希望を実現させる」ことに共感し、「平和をもとめ誠実に生きようとする人々こそ、日本にとって必要な人たち」と、共に生きる姿勢をうたいあげています。 沖縄に関する文章の中では、「その状態を・・・忘れ去っていたことこそ差別の歴史」「沖縄・・・今や、人権を戦いとっていくあらゆる運動の原点」「沖縄が直面している重い問題を避けて日本が真に生きる道はない」と言い切るほど明日への展望と希望に満ちています。 それなのに、部落差別について語るとき、なぜ、あえて、どこにも明日への希望も展望も語られていない暗い詩を引用することにしたのでしょう。

 真原牧さんの詩を読者の前に投げ出すだけで、著者はなにの解説もしていません。 ほとんどの読者は彼女の他の詩を読む機会もなく、『洗練を受けてから』に引用された詩のみを通じて部落を知り、そして展望のない差別の悲惨さのみを認識するようになるのです。

    著者のⅠ牧師は、この詩の歌われた部落をたずね、詩に歌われた被差別部落の現実を確認したことがあるのでしょうか。 彼の書いた文章の中に、このような言葉があります。

    今は亡きアメリカの社会学者ヒューバーマンが、かって京都の東七条部落をたずねたとき、案内をした部落問題研究所のT
氏に、ありきたりに皆が問うような部落の状態など問うことをせず、ただ「あなたは過去のこの部落に何を行い、現在何を行い、将来なにをしようとしているのか」と問うた、ということです。

    アメリカの社会学者は、差別問題は、被差別者に対する展望を持つことなくしてかかわることはできないと語っているのです。 著者であるⅠ牧師は、このアメリカの学者の問いを、「京都の東七条部落」での問いとして、自分に向けられた問いとしてうけとめなければならなかったのではないでしょうか。 そうしないと『洗礼を受けてから』の多くの読者に重荷を背負わしながら自分では指1本動かすことをしない愚を犯すことにならないでしょうか。

    Ⅰ市の9つの被差別部落は、地区指定を受けることはありませんでした。 一般に言われるところの「未指定地区」のままです。 山口県の有数の都市の一つであるⅠ市の被差別部落は、1箇所も地区に指定されていないのです。 山口県独自の「みなし地区」として、被別部落の住民に個人給付が展開されているのみで、同和事業はほとんどなされていないのです。 部落海保同盟山口県連の未指定地区実態調査に同行を許されてみたⅠ地区は、想像に絶するものでした」。 戦前は日本の軍隊によって、戦後はアメリカの軍隊によって、基地を拡充する毎に袋小路の狭い地域に押しやられた被差別部落は、いまも、同和対策審議会答申以前の部落の姿を留めています。 今は亡きアメリカの社会学者ヒューバーマンが、山口県Ⅰ市の被差別部落を尋ねたら、案内をする西中国教区のⅠ牧師に、ありきたりに皆が問うような部落の状態など問うことをせず、ただ「あなたは、過去この部落に何を行い、現在何を行い、将来何をしようとしているのか」と問うたのではないでしょうか。

    『洗礼を受けてから』の部落差別に関する文章が差別的な文章になっているのは、西中国教区とその教会が、また牧師と信徒が、被差別部落との出会いなくして観念的な取り組みに甘んじてきたためではないかと思います。 被差別部落とそこに住んでいる人々の顔が見える場所に自分の身をおいて、
『洗礼を受けてから』の部落差別に関する文章を書いていたら、もっと別の内容になっていたと思われます。

    京都の東七条部落の名前を出してはばからないⅠ牧師は、彼が生活しているⅠ市内の9つの被差別部落については何の言及もしていないのです。

    日本基督教団西中国教区の私たちにとって部落とは何なのでしょう。 広島や山口、島根の住民にとって、部落とは、大阪や京都、奈良、兵庫の被差別部落のことではありません。 誰も、広島、山口、島根に身を置いて、京阪神の被差別部落の人を差別しません。 私たちにとっての部落とは、私たちが生活している場所、教会があって信徒が信仰生活を営んでいる場所、そこにある部落こそ私たちにとっての被差別部落です。 自分の現場で、部落差別問題に取り組むことこそ、アメリカの社会学者ヒューバーマンが訴えていたことがらなのです。

    Ⅰ牧師は、「部落問題は、現に日本にある6000の被差別部落、300万人の人たちんお現状を知り、差別の実態や、解放運動への働き、その思想を抜きにしてはかかわりえない問題です。」と、語ります。 6000部落300万人の部落の現状を知ることも大切ですが、私たちの身近に存在する、差別と非差別が見えるⅠ市なら、Ⅰ市内の9つの被差別部落を知ることの方がもっと大切なのではないでしょうか。 かって、教会総会決議として、<部落電動建議案>を成立サせた西中国教区にふさわし取り組みになると思います。

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目次

 『部落差別から自分を問う』の目次 はじめに 第1章 部落差別を語る  1. 部落差別とはなにか  2. 部落<差別>とはなにか  3. 部落差別はなくなったか  4. 部落の呼称  5. 認識不足からくる差別文書  6. 部落の人々にとってのふるさと 第2章 差別意識を克服する...