2023年8月25日金曜日

第2章第4節第1項 差別意識を自覚しつつ、差別行為にのぞむ場合

    第2章 差別意識を克服するために
    第4節 差別意識とはなにか
    第1項 差別意識を自覚しつつ、差別行為にのぞむ場合

    典型的な差別発言・差別行為がこれにあたります。 最も典型的なものが、山口県のH教会でおきた、「あいつらはこれだ」と言って、当時の西中国教区部落差別問題特別委員会の委員長の目の前に四本指を突き出した事件でしょう。 差別行為にのぞんだ人は、H教会の信徒であったそうですが、その人は、「四本指」をつきだすことが、被差別部落の人々に対する敵意と憎しみ、侮蔑の差別的行為であることを自覚しつつ、「あいつらはこれだ」と差別行為にのぞんだのです。

    当時の委員長は、差別行為を前にしても、「いまどき、教会の中にこんな差別が・・・」と驚きの思いをもったけれども、「その行為で、誰も傷つくことはない」との認識から、なにの指摘もしなかったのです。

    「あいつらはこれだ」と差別された人々は<爆弾三勇士>の名で知られています。 <爆弾三勇士>の話は、戦前、日本の民衆を戦場へと駆り立てるために、国家が仕組んだ神話です。 <三勇士>の一人は被差別部落出身者であったと言われていますが、被差別部落の人に強制された死が利用されつつ、「部落民でさへ、天皇のために、国のために命をささげた。 まして、おまえらは・・・」というかたちで、日本の民衆は戦場へと
駆り立てられていったのです。 最初、<爆弾三勇士>の一人が被差別部落出身であると言われていたものが、差別の拡大再生産の中で、さらにもうひとりが部落民に数えられ、山口県のH教会の信徒においては、「あいつらは」という言葉にみられるように、<爆弾三勇士>全員が部落民とされているのです。 部落差別を押し返すのではなく、部落差別が拡大再生産されているのです。 当時の西中国教区部落問題特別委員会の委員長は、H教会の信徒が、「<あいつらはこれだ>と四本指を出しても、爆弾三勇士は過去の人物なので、誰も傷つかない・・・」と弁明されたのですが、誰も傷つかなければ、差別発言も差別行為も問われないで済むのでしょうか・

    『天皇陛下万歳・爆弾三勇士序説』(上野英信)のプロローグに、著者が<爆弾三勇士>の一人の妹にあたる小学校教師にあてて書いた手紙が掲載されています。 

    「あなたは、終始、兄のことについてはいっさいふれてほしくない、書いてほしくない、いまはただそっとしてほしい、と主張続けてこられました。 それっは決してあなた一人の要求ではありません。 言葉にこそされませんが、恐らく三勇士の遺族全員のもっとも切実な心情そのものでありましょう。遺族のみなさんと会うたびに、私は痛いほどそのことを感じ、顔を見るのもつらい思いに沈むばかりでした。 見てはならない人の姿を見るおもいとでも申せましょうか。 生きながら殉死を強いられた人のおもかげのみ濃密でした。 そっとしてほしいというお言葉は、いまの私には、限りなく深い地底から聞こえてくるような気がしてなりません。・・・あなたのお兄さんを通して、あなたがたが三勇士の遺族であることによってどれほど深い傷を負わされているか、現になお負わされつつあるか、私はいやというほど思い知らされました」と。

    軍国主義によって押し付けられた恐るべき幻影に、部落差別というもうひとつの幻影を押し付けられた<爆弾三勇士>に対する、国家や民衆がつくりあげてきた差別意識が、すでに世を去った<爆弾三勇士>だけでなく、その遺族にも及び、言葉にならない、堪えがたいい苦痛と悲しみを与えているという事実を考慮するとき、「その行為で、誰も傷つくことはない」という認識は、決して正当なものではありません。

    それが、たとえ、すでにこの世を去った、過去の歴史上の人物であったとしても、その人に対する差別を許すことで、あとに残された遺族の上に、さらに差別にみちた眼差しが向けられることを考えると、決して、許されることではないのです。

    江戸時代に被差別に置かれた人々は、この山口県の長州藩の資料をみただけでも、江戸時代300年間に渡って、その歴史の資料の中に、また明治維新後百数十年たった今日も記録され続けている事実を考えても、過去の人物に対してなされた差別発言は、それにとどまらず、被差別に生きる今日の人々の上にも、深い影を落とすのです。

    差別意識を自覚しつつ、差別行為にのぞむ場合は、H教会の事例にとどまりません。  西中国教区の山口某分区の信徒大会で、講師のCさんは、「特殊な地域には、アル中が多くて。 ああ、これは差別発言でしたね。」と発言されました。 Cさんは、「特殊な地域」という言葉が、被差別部落をさすことを十分知っていたにもかかわらず、あえて言葉に出して、「アル中が多くて・・・」と聞いている人々に差別意識を植え付けたのです。

    同じ集会で、講師のCさんは、広島の女子畑の話をされました。 「女子畑(おなごばた)の人々は、皆、字が読めなくて、好畑(すきはた)という地名を、女と子をわけて、女子畑と呼んだのがはじまり・・・」と説明されました。 聞いている人は、みな笑っていましたが、広島の女子畑は、戦国時代の昔からずっと<おなごばた>であって、一度も<すきはた>であったためしはありません。 Cさんは、自分の話を聞いている人々の中に女子畑の出身者はいない、そういう前提で、差別的なつくり話をして、聴衆の関心を集めているのです。

    山口県S市で開かれた社会同和教育で、講師が、偏見というものがなにであるのか、その具体的な例として、会津若松の話をされたことがあります。 「人権教育がすすんで現代でも、偏見は根強く残っています。 たとえば、ある人が会津若松に行ったとき、寒い冬の朝なのに雨戸をガラガラとあけるのです。一軒がガラガラあけると、「うちもあけなければ」と世間体が悪いから、とのうちもガラガラご雨戸をあけるのです。 会津若松では、朝、いっせいにガラガラと雨戸をあける音がします・・・」。 聞いていた人は、優越感に包まれたようにドッと笑い出しました。

    質疑応答のときに、「なぜ、そのような発言をしたのか」聞きました。 「同和教育は、部落差別だけでなく、いかなる差別もなくしようという運動ではないのか。 私たちの内なる偏見をとりあげるならともかく、私たちの住んでいるところから離れた遠くに住んでいる人、差別されても反論できない、会津若松の人々を差別的にとりあげるのは問題ではないか」と問いかけました。 講師は、「すみませんでした。 この研修会に、会津の関係者が出席されているとは知りませんでした。 今後は注意します。」と答えました。 その講師は、ほかの講師がこのたとえを使って参加者の緊張をやわらげているのを知って、これはいいと、二番煎じで用いたようです。 この例も、差別意識であることを自覚しつつ、当事者がそこにいないという前提で、差別行為にのぞむ場合であると言えましょう。

    最近、ある牧師と、『洗礼を受けてから』の部落差別に関する文章について話をしていましたら、なにを勘違いしたのか、「被差別部落の人が、歴史的にいろいろな呼称で呼ばれたのと同じように、障害者もいろいろな呼び方をされてきた経緯がある。」と前置きしてこのように私に問いかけるのです。

    「あなただけが、差別の歴史について知っているのではなく、私も障害者差別の歴史については、あなた以上に知っています・・・」そんな語調でこのように言われたのです。

    ある牧師: 「父親と母親と国籍が違った場合、昔、どう呼ばれたか知っていますか?
    筆者:「いいえ・・・(なにを聞きたいの?)」
    ある牧師: 最初は、<混血児>と<間の子>と呼ばれていた。 それが、やがて、ハーフと呼ばれるようになった。 それもおかしいと言われ、今は、どう呼ばれているか、知ってる? 知らない? ダブルと言われている!」

    彼は、「混血児」と言おうが、「間の子」と言おうが、「ハーフ」と言おうが、「ダブル」と言おうが、言葉を変えて表現しても実態は変わらない、差別語狩りをするのは間違いである、と主張されているのですが、部落差別の話をしているときに、なぜ、二重国籍の人々に対する差別用語ないし差別用語の言い換えの羅列をしなければならないのか、理解に苦しむところです。 これも二重国籍の人々に対する差別用語がなんであるのかを知っているにもかかわらず、彼の話を聞いている私が二重国籍ではないとの前提で、彼の差別的な表現が展開されているのです。 もし私が二重国籍であったとしたら、彼は、そのような会話をしたのでしょうか。 おそらく、二重国籍については、ひとこともふれなかったのではないでしょうか。 ひとごと、他人ごととして聞かされる差別語は、時としてひとのこころをぐっさり突き刺してしまいます。

    教区の中には、分区の中には、教会の中には、被差別部落出身者はいない、という前提で語られる差別に関するさまざまな会話が、どれほど被差別部落出身の人々の心を傷つけることになるか・・・。

    差別意識を自覚しつつ、差別行為にのぞむ事例は、多くの場合、差別問題についてある程度知識を持っているか、なんらかの形で差別問題とかかわりを持っている人々によって引き起こされます。 知的に、巧妙に・・・。

    発言の自由は大切です。 部落差別について話し合うときにも、自由に話し合って、被差別者と差別者が真剣に議論していくということはとても大切なころがらです。 しかし、「研修の場であるから・・・」、「協議の場であるから・・・」、そこでなされた差別発言がなにも問われないということではありません。 本当に、発言の自由が大切にされるところでは、発言しようとしても発言できない人々の、少数者の声なき声にも留意する必要があるでしょうし、それ以上に、発言の自由ということばのもとで語った自分のことばを、一言一句、自分の責任で裏打ちすることが必
要なのではないでしょうか。 無責任に、被差別にあるものを傷つける、そのような言葉を濫用していいというわけではありません。 もし、そうしたのなら、「自由な発言」ということで、差別発言をするようなことがあったとしたら、その責めはその発言をした本人にかかっているということでしょう。

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目次

 『部落差別から自分を問う』の目次 はじめに 第1章 部落差別を語る  1. 部落差別とはなにか  2. 部落<差別>とはなにか  3. 部落差別はなくなったか  4. 部落の呼称  5. 認識不足からくる差別文書  6. 部落の人々にとってのふるさと 第2章 差別意識を克服する...