2023年8月23日水曜日

第2章第2節 あらたな差別発言

    第2章 差別意識を克服するために
    第2節 あらたな差別発言

    この夏期研修会での議論と決議を踏まえて、西中国教区常置委員会は、拡大宣教研究会を設置しました。 それは、宣教研究会の4名の委員と、教区の部落差別問題特別委員会の元委員長・現委員長等4名 (佐藤・陣内・東岡・吉田)を加えて、総勢8名で、『洗礼を受けてから』の部落差別に関する文章の検証と問題解決のための対策を討議するというものです。

    『洗礼を受けてから』の部落差別に関する文章のどこに<差別性>があるのか、協議していく過程で、宣教研究会の4名の委員の一人M委員から、「障害者差別は目に見える。 しかし、部落差別は目に見えない。 黙っていればわからない・・・」との発言がありました。 M委員の発言の直後に、M委員の発言は、認識不足であるとの指摘がありました。 それに対してM委員は、<なぜそのような発言をしたのか・・・>その理由を説明されましたが、M委員の説明は<どう受け止めていいのか・・・>聞いているものが必ずしも納得のいく説明ではありませんでした。

    第2回委員会のとき、教区部落差別問題特別委員会の委員長である東岡山治牧師から、M委員の前回で
「障害者差別は目に見える。 しかし、部落差別は目に見えない。 黙っていればわからない・・・」という発言は差別発言であるとの指摘がありました。 M委員が遅刻されたこともあって、M委員の出席をまって東岡山治牧師から、M委員の前回での発言内容の確認がなされました。 その際、M委員から、前回同様、<なぜ、そのような発言をしたのか>弁明がありましたが、やはり、納得できる内容ではありませんでした。

    M委員の発言がなぜ<差別発言>であると指摘されるのか・・・、少しく考えてみたいと思います。

    M委員の
「障害者差別は目に見える。 しかし、部落差別は目に見えない。 黙っていればわからない・・・」との発言は、障害者差別と部落差別に関する二つの命題から、「(部落出身であることは)黙っていればわからない」という結論を導き出すものです。

    教区部落差別問題特別委員会委員・東岡山治牧師は、第2回委員会で配布された文書で、『洗礼を受けてから』の部落差別に関する文章に記された「差別の問題、たとえば冒頭の未解放部落差別をはじめとして、在日朝鮮人問題、原爆被爆者差別、沖縄問題等々・・・」という文章について、「ほかの差別と並列・列挙しているが、それぞれ固有の課題がある。 ひとつにしてしまうのは誤りである」と指摘されています。

    障害者差別と部落差別は、本質的に、ひとつの判断基準 (この場合、「見える」「見えない」という基準)で比較検証できるような内容ではないというのです。 障害者差別は、障害者差別として、障害者の置かれた現実に即して、差別・被差別が論じられなければならないし、部落差別についても、部落差別の歴史的・政治的起源と現在の部落の現状に即して、差別・被差別が論じられなければならないと思います。

    M委員は、強引に「見える」「見えない」という基準をあてはめることで、本来比較にならない二つの差別を強引に比較し、部落差別を相対化することで、「(部落出身であることは)黙っていればわからない」という間違った、差別的な結論を導き出しています。

    M委員の発言は、「(部落出身であることは)黙っていればわからない」という結論を主張するために、あえて、障害者差別に関する命題を持ち出し、部落差別と強引に比較しているように見えるのです。

    以前、解放同盟山口県連S支部の解放学級で、解放学級に参加していた人々 (被差別部落の人々・学校の教師・新聞記者・宗教家等) と障害者の方々の間で交流会が行われ、熱い議論がかわされたことがあります。 障害者差別と部落差別がつきあわされて、先鋭化したかたちで議論される場面もありました。

    そのとき、かって亀の里に入居されていたKさんも参加していました。 Kさんは、亀の里について、その当時書いた文章の中で、「ここ(亀の里) は自然が豊富だったので、毎日山の中に入ったり、山道を歩いたり花を植えたり動物を飼ったりしました。 ですから今でもそういうことが好きでやっています。」と語っていますが、「自分で自分のことがどれだけできるかが知りたくて・・・」、亀の里を出て、自分で生活を始められていました (『寒暖』弥生の九号)。 Kさんは、全国脳性マヒ者・青い芝の会の数人の仲間と一緒に、解放同盟S支部の解放学級に参加していたのですが、その時のKさんの姿は、亀の里におられたときより生き生きしているように思われました。 夜の国道2号線を自転車に乗って来られていたのです。

    そのとき、青い芝の会のメンバーの一人、Oさんが、口角泡を飛ばして、机をドンドンたたきながら、「障害者の身近にいるひとが障害者を差別する・・・」と激しく訴える場面がありました。 Oさんの話によると、障害者にとって、その<最大の差別者は母親だ>というのです。 障害者の母親は、多くの場合、障害を持ったこどもを生んだということで、罪責の思いを持って、悲しんだり嘆いたり、ときには、「生まれてこなければよかった・・・」と自分のこどもの前で後悔したりするというのです。 またこどもが成長し、養護学校に行く頃になると、障害児を持った親たちが、そのこどもたちを前にして、「おたくのこどもの障害は、どの程度なの・・・」と、自分たちのこどもの障害を比較しあうというのです。 そして、少しでも、他のこどもより自分のこどもの障害が軽いと、それでほっとする・・・。・ Oさんは、母親たちが、それぞれのこどもの障害の程度を比較して一喜一憂していいる姿を見て、障害を持ったこどもは、障害にも重い軽いがることを知り、やがて、障害者が障害者を差別するような意識を持っていくようになるというのです。

    養護学校に入ると、そこにはいろいろな障害を持ったこどもがいます。 その養護学校にも差別はある・・・」とOさんはいいます。 障害の程度の軽い、自分で歩くことができるこどもに差別され、くやしい思いを持った車椅子のこどもは、そのくやしさを、寝たきりで自分で動くことができないこどものところに行って、思い切り差別的な言葉をなげかける・・・というのです。どの障害が重くて、どの障害が軽いのか、障害の程度が比較され論じられるところで、常に障害者に対する差別意識が助長・再生産されているというのです。

    解放同盟山口県連S支部にAさんという女性がいます。 Aさんは、結婚してふたりのおこさんがいます。 障害者の方々と被差別部落の方々が先鋭化したかたちで、差別について議論されているとき、Aさんはこのように話されました。 「わたしは、女性で、障害者で、部落出身です。 わたしのどの差別が重たくて、どの差別が軽いのでしょうか・・・」。 Aさんは、被差別部落に生まれ、被差別部落に育ち、被差別部落に生活しています。 部落差別はこどもの頃から受けていたといいます。 そのAさんは、さらに女性であるが故の差別にも苦しまざるを得なかったといいます。 それにいくつもの障害・・・。 
「わたしは、女性で、障害者で、部落出身です。 わたしのどの差別が重たくて、どの差別が軽いのでしょうか・・・」というAさんのことばを聞いて、私は、部落差別・障害者差別・女性差別等、この世に存在するさまざまな差別を比較し、相対化することは間違いであることに気づかされたのです。

    <差別>は、人間の具体的な問題なのです。 どのような差別であれ、差別されることで人間が傷つき、苦しみ、悩むのです。 差別問題と取り組む人は、人間を人格全体として、人格総体としてとらえなければならないのです。 第三者的に、傍観者的に、あの差別、この差別と、いろいろな差別を比較し論ずることで差別そのものを相対化し、茶化して、揶揄してしまうことは、大きな過ちです。 障害者<差別>と部落<差別>を比較しても、<差別>問題を解決する道を模索することはできないのです。

    Aさんにはじめて会ったのは、はじめて、山口県S市の被差別部落を尋ねたときのことです。 部落解放同盟山口県連・S支部のある被差別部落の隣保館で開かれた「人間展」 (写真展)を見に行ったときのことでした。 普通の日であったため、来場者の姿はまばらで、受付にいたAさんと話をする機会がありました。 Aさんは、私が教会の牧師であると知って、Aさんのお姉さんがクリスチャンで東京の〇〇教会の熱心な教会員であること、ふるさとを出たまま、長い間ふるさとには帰って来ていないこと・・・等を話してくれました。

    そんなAさんとの忘れられない話があります。 それは、ある寒い冬の日、しかも冷たい小雨が降る夜、単車に乗ってS支部の書記長さんの住む被差別部落を尋ねたときのことです。 住宅の階段の下でAさんに出会いました。それで少しく立ち話をしたのですが、そのときAさんが、会話の中でこのような話をされました。 「私、吉田さんも右手の痛み、知っています。 吉田さんも関節手術を受けたのでしょう。」というのです。 私は神奈川教育にいたときに、右手の関節を患い、その手術を受けたことがあります。 それ以来、右手の握力がなくなり、少し使い過ぎると、くるまのエンジンが焼けついたように熱と痛みをもって動かなくなります。 Aさんには、そのことを話したことはなかったのですが、Aさんは、私の右手の痛みを知っているといわれるのです。 「なぜ・・・?」とお尋ねしたら、「私は、高校生のとき、同じ手術を受けたのですが、手術は失敗して、ほら、右手が不自由になってしまいました。 吉田さんは、手術、成功してよかったですね・・・」ということでした。 私の右手の痛みを見抜き、「
手術、成功してよかったですね・・・」と語るAさんの、言葉の響きに非常に暖かいものを感じました。 Aさんは、こころから、「よかったですね・・・」といってくれたのです。 しかし、私は、Aさんの右手が、私と同じ病気で今も後遺症に苦しんでいるという事実を見つめることはできなかったのです。 ときどき、差別問題を論じるとき、<感性>が問題になりますが、私の他者の痛みや苦しみをさとる、自分の<感性>の鈍さに赤面する思いでした。

     青い芝の会のKさんやOさん、また解放同盟山口県連S支部のAさんとの出会いによてって経験し考えさせられたことを踏まえると、宣教研究会のM委員が、障害者差別と部落差別を、「見える」「見えない」で強引に比較して、「 (部落出身であることは) 黙っていればわからない・・・」と結論づけたのは、いろいろな意味で間違いであると思うのです。

    東岡牧師が指摘されるように、障害者差別と部落差別とを並列・列挙、比較して、観念的な議論を展開するのではなく、障害者差別と部落差別もそれぞれ固有の現実と課題がること、それぞれの取り組みが遂行されていく中で、相互に補完しあいながら、「人間性の原理にめざめ、人類最高の完成に向かうという目標」ぬに向かって努力していくものである、そういう認識から、それぞれの<差別
>を考えていかなければならないのです。

    
「障害者差別は目に見える。 しかし、部落差別は目に見えない。 黙っていればわからない・・・」という発言をもう少し検証してみましょう。 M委員の発言は、「障害者差別は目に見える。」「 しかし、部落差別は目に見えない。 」「黙っていればわからない・・・」
という三つの文章から成り立っています。 まず最初の「
障害者差別は目に見える」という表現ですが、M委員は、この言葉を語るとき、「車椅子の障害者」が念頭にあったといいます。「車椅子に座っている人を見れば、すぐ障害者だとわかる」、そういう意味で「障害者差別は目に見える」と言ったというのです。 M委員は、「障害者差別」を、<障害者の障害>をさして用いているのです。「障害者差別は目に見える」という表現は、「<障害者の障害>は目に見える」という意味で用いられています。

    M委員が最初、聖書研究会の委員会でこの発言をしたとき、「障害は、いつも<目に見える>とは限らない。 障害の中には、<目に見えない>障害もある。 視覚障害や聴覚障害、その他の障害でも、一見して、すぐに障害とわからない障害は多々ある。 <障害者差別>は目に見えると断定するのは認識不足である・・・」との指摘がありました。 M委員が少しでも、<障害者問題>、あるいは<障害者差別問題>に関心を持ち、取り組んでこられたことがあるなら、<障害者の障害>を<目に見える<障害
>に限定するようなことはしなかったでしょう。 「車椅子の障害者」だけが障害者ではなく、この世には実に様々な障害を持った方がおられるということはすぐに分かることです。

    それに、「車椅子に座っている人」を見たとき、私たちが、そこに<障害を持った人間>の存在を確認するのであって、決して、M委員の言葉が示しているように、<障害者差別>を確認するわけではないのです。 「車椅子に座っている人」を見て、私たちは、障害者と障害の事実を<見る>ことができたとしても、<障害者差別>を直接<見る>ことはできないのです。

    障害者がどのような差別を受けているか、被差別の実態は、障害者の語る言葉に耳を傾けることなくして知ることはできないのです。そして、障害者が差別されているという<被差別>と同じく、<差別>も、実際は「目に見えない」かたちで存在している場合が多いのです。 被差別部落の人に対する差別と同じく、障害者に対する差別も、むしろ「目に見えない」かたちで、潜在化・陰湿化されていると考えるのが妥当ではないでしょうか。

    M委員が、「障害者差別は目に見える」と断言するところに、M委員の障害者差別問題に対する認識の甘さが横たわっているように思うのです。

    西中国教区の教育セミナーで、このようなことがありました。 登校拒否が主題として取り上げられた時のことですが、参加したキリスト者で、学校の教師であった人が、自分の実践事例を話されたことがあります。 それは、言語障害を持つこどもの話しでした。 最初、その人は、自分のところにやってくるこどものことを、「言語障害を持つこども」と呼んでいましたが、話が進むにつれて、「どもりのこども」と呼び方を変え、最後になると、そのこどもを「どもり」と呼び捨てにしていました。

    私は、そのとき、その場で、「あなたの発言は差別発言である」と指摘してその理由を話しました。 「障害をさす用語、しかも差別語を用いて、こどもの全人格を表現するのは差別である」と。 そのとき、そのひとは、「あなたは、私のことばじりをとらえて、わたしの教師としての全生涯を否定するつもりか!」と激しく立腹されました。 そのできごとは、まだわたしの記憶になまなましく残っています。 そのとき、教区議長は、「私たちは長い間、障害者差別問題と取り組んできた。 しかし、これでは、最初からやり直しをしなければならないではないか・・・
」と嘆いておられました。

    M委員が、「車椅子に座った障害者」を念頭におきながら、「障害者」と「障害者差別」を混同して用語を用いているという事実は、M委員が、
障害者を全人格としいて受け止めることから後退して、障害者をなんらかの運動の<道具>あるいは<手段>におとしめているのではないでしょうか。

    M委員の「障害者差別は目に見える」という命題が、粗雑で瑕疵のある命題であるのと同じく、2番目の「部落差別は目に見えない」という表現も、まったく粗雑な論理であるといえます。

    被差別部落の人が被差別部落の人であること・・・、それはM委員がいうように、「見えない」ことがらなのでしょうか。

    被差別部落の人々は、現在でも何百万人もの人が、同和地区に住んでいます。彼らは、同和地区に住んでいるということで、いまでも就職差別や結婚差別を受けて苦しんでいます。 部落も部落に住んでいる人も、「目にみえない」存在としてではなく、「目に見える」存在として地域社会に生きているのです。 同対審答申の中でも、「部落差別は単なる観念の幽霊ではなく現実の社会に実在する」と表現しています。

    M委員が、「部落差別は目に見えない。 黙っていればわからない・・・」と断言するとき、M委員の視野にあるのは、被差別部落の人は被差別部落の人でも、自分の生まれ育ったふるさとを捨て、またそこから離れて、別の場所で、部落出身であることを隠して生きている人々の姿が念頭にあるのでしょう。 M委員の脳裏からは、自分の生まれたふいるさとに身を置き、そこで部落民として生き、部落解放のために闘っている多くの被差別部落の人々の姿が欠落していっているように思います。 
「部落差別は目に見えない。 黙っていればわからない・・・」という言葉が、たとえ、M牧師の個人的経験に根差した現実であったとしても、なお問題に満ちた表現であるといわざるを得ません。

     M委員の、「障害者差別は目に見える」という命題が、粗雑で瑕疵があるのと同じく「部落差別は目に見えない」という命題も粗雑で瑕疵がある論理であるといわざるを得ません。

    障害者差別も部落差別も、共に「目に見える」「目に見えない」の恣意的な基準で把握できるような現実でもなければ実態でもないと思うのです。

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目次

 『部落差別から自分を問う』の目次 はじめに 第1章 部落差別を語る  1. 部落差別とはなにか  2. 部落<差別>とはなにか  3. 部落差別はなくなったか  4. 部落の呼称  5. 認識不足からくる差別文書  6. 部落の人々にとってのふるさと 第2章 差別意識を克服する...