一気に書き下ろしてきたこの文章も最後に使づきました。 解放同盟S支部の方々と出会うことで、無学歴・無資格 (Academic Outsider) 、部落問題・部落史研究の門外漢である、日本基督教団の一牧師である私は、部落解放同盟S支部の方々と出会うことで、多くのことを学ばせていただきました。
この文章を思いつくままに書き連ねながら、本当はもっともっと紹介しなければならない差別発言や差別事件があることに気づかされました。
解放同盟S支部で、小学校の教師をされているA先生の部落民宣言やその活動についても、とりあげなければなりませんでした。
西中国教区、とくに山口県の諸教会の置かれた社会的状況と、その中での教会と部落との連帯の可能性については、もっと多の言及すべきことがあります。
また、解放同盟S支部の人々と、山口の被差別部落の歴史を学んでいく中で、興味ある多くの歴史的事実に遭遇しました。 従来の「士農工商・穢多・非人」という歴史的通説が打ち砕かれ、被差別部落の人々の本当の歴史の真実に迫る、さまざまな歴史的事実と論理をも学ぶことができました。 それも西中国教区の諸教会が部落差別問題に取り組むときの有益な資料となるでしょう。
さらに、日本基督教団京都教区で毎年行われている部落解放夏期研修医会は、私にとっては、西中国教区や分区・教会での取り組みに疲れたときに、エネルギーを補給して、「また一年がんばろう」、そんな思いを持つことができる場でした。 そこでは、被差別部落出身の牧師や信徒、そして、被差別部落出身でない多くの牧師や信徒が、真剣に、それぞれの場所から闘いの試行錯誤やその結果を持ち寄って、いろいろな意見の交換が行われています。 京都教区の部落解放夏期研修会で学んだことももっと、この文章の中に織り込むべきであったと思っています。 いつか続編を書きおろしたいと思っています。
最後のこの文章は、『部落差別から自分を問う』を読んでくださる皆様に対する問題提起です。
日本基督教団出版局が出している『説教者のための聖書講解・釈義から説教へ』という一連のシリーズがあります。 その1冊に、関西学院大学Y教授がこのような意味の論述をしています。 イエスは、貧しい者、苦しむ者、抑圧されたものを祝福された。 そのようなイエスのまなざしは、わたしたちに問いかける。 貧しい者、苦しむ者、抑圧された者を、あなたは、「愛しているか、重荷を負いあおうとしているか、敵になっていないか」と。 そのような文脈の中で、Y教授は、在日韓国人で障害者である李和美(イファミ)さんの詩集『私の名はファミ』から「クリスチャンⅡ」という詩を引用されています。
私はりっぱなクリスチャンになりたい
きれいなふくをきて
じょうひんな言葉で人のうわさをする
そんなりっぱなクリスチャンになりたい。
私はりっぱなクリスチャンになりたい
地位があっても学問があるから
めうえの人にも自分からあいさつをしない
そんなりっぱなクリスチャンになりたい。
私はりっぱなクリスチャンになりたい
アル中で人の物をとる人を
おまえのようなものは出ていけと
追い出した
そんなりっぱなクリスチャンになりたい。
私はりっぱなクリスチャンになりたい
自分と同じでなくては
クリスチャンしっかくと
きせきがおこらないと
しっかくだってきめつける
そんなりっぱなクリスチャンになりたい。
私はりっぱなクリスチャンになりたい
自分の考えと違う教会なら
さっさとみきりをつけてやめていく
そんなりっぱなクリスチャンになりたい。
きれいな心愛する心思いやる心
そんなりっぱな心をもって
人に神様の愛をつげられる
そんなりっぱなクリスチャンになりたいな
関西学院大学のY教授は、「詩の中にこめられた彼女の訴えと願いをどこまで理解することができるか、私には自信がない。 しかし、たとえ浅くとも、彼女の思いに共感できるキリスト者でありたいと願う」と結んでいます。
私は、この詩を読みながら、悲しい気持ちになってしまいました。 なぜ、イファミさんは、彼女が詩うような「りっぱなクリスチャン」にならなければならないのでしょうか・・・」。
彼女の詩にうたわれた「りっぱなクリスチャン」というのは、今日の日本基督教団の多くの教会の現実の姿を反映しているのでしょうが、天皇制の枠組みの中で、「中産階級」・「知識階級」であることを自他共に認識し、その誇りと自覚のもとに、キリスト者としての愛を実践し、罪あるこの世に対してさまざまな問題提起や批判をしていく・・・。 そのようなキリスト者の姿ばかり見て、育ち、キリスト教の信仰を受けいれていったイファミさんにとっては、理想的なクリスチャンは、必然的に、「中産階級」「知識階級」に属するクリスチャンと同一存在のように思われたのかもしれません。
福音書のイエス・キリストは、私たちをありのまま受け入れてくださるお方です。 イフアミさあんが、「りっぱなクリスチャンになりたい・・・」、そういう思いを強める限り、イファミさんは、在日韓国人であること、障害者であること、その事実から、自分を隔離しなければならなくなるのではないでしょうか。 なぜ、神さまやイエスさまに愛される<りっぱなクリスチャン>になるために、詩の中に出てくる<りっぱなクリスチャン>に自分を変身させなければならないのでしょうか。 学歴があって、社会的地位があって、それを示すかのように綺麗なみなりをして、上品な言葉使いで、神さまの愛を語り、自分たちの価値判断にあわないと、人を無視し、場合によっては、社会の下層にあって悩み苦しむものを教会から疎外し、自分たちの理想と違う歩みを教会がたどりはじめたとき、それを理由にイエスさまの教会さへ破壊して省みない、自分たちだけが、福音に生きていると信じ込み、他者を不信仰の輩として批判してやまない・・・そんな「りっぱなクリスチャン」になぜならなければならないのでしょう。
私は、このイフアミさんの詩を読みながら、機会が、在日韓国人や障害者に何を要求しているのか、それを垣間見る思いがしています。 イファミさんの詩は、在日韓国人や障害者、被差別部落の人やアイヌの人が、教会の中で、「りっぱなクリスチャン」になることを求められているという事実を示す詩ではないかと思うのです。
被差別部落にある人々は、その差別によってさまざまな痛みを感じざるを得ない。 しかし、差別する人に対して、「それは、差別です」と指摘告発したりすると、教会の中が気まずくなる。 クリスチャンは、他の信仰者から、どのような発言をされようと、そこには、根本的な悪意と敵意とかはないのであるから、問題をことさらとりあげるようなことをせず、ひろいこころ、あたたかいこころで受けとめ、笑って対応してあげれば、いつか、その人の差別性も、その愛とやさしさにうたれて自分の間違いを悟るようになるかもしれない・・・、イファミさんの詩の背後には、そんなキリスト教会の姿勢が存在しているように思うのです。
在日韓国人も、障碍者も、部落の人も、アイヌの人も、どんな被差別の中にある人も、「いい子、いい人」でいるなら、教会は、あたたかく受け入れますよ、しかし、教会の中で、差別発言を指摘したり、解放運動を行なうというなら、それは、「アル中」の人を追い出すのと同じ理由で、教会から出ていっていただきますよ・・・、そんな言葉が響いてくるように思えるのです。
被差別にある人々を教会に受容する、受容しないという問題のはざまで、このような状況が起こりうるのです(イファミさんの詩が、現代の教会とクリスチャンに対する皮肉であるなら、拍手喝采して、この部分の文章を撤回します)。
山口県S市で開催された連続『社会同和教育市民学習講座』に、市民ではないけれども、主催者の同意をえて、全期間参加させていただいたことがあります。 そのとき、講座の最終日、山口氏教育委員会同和教育室のE先生が講演されました。 E先生の講演は、いまでもいい講演であったと思っていますが、講演のあと、E先生と20~30分話をしたことがあります。
E先生によると、1972年ある被差別部落の青年が自害されたそうです。 高校卒業後、会社に入社、そこで、同僚の女の子と親しくなり同棲するようになっていったというのです。 やがてこどもができ、おなかの中のあかちゃんが4か月になった頃、ふたりは、まだ生まれていないそのこどもに名前をつけたそうです。 しかし、娘がつきあっている青年が被差別部落出身であることを知った彼女の両親は、ふたりの結婚に反対・・・。 差別に対してどう克服していけばいいのかわからなかったその青年は、自分の恋人にこどもを下ろさせ、その後自殺してしまったというのです。 E先生は、部落差別で、青年と恋人の胎内にいるちいさないのちが失われることになったと指摘し、「この青年には、人格的に一点のひのうちどころもなかったのに・・・」と話されました。
講演のあと、この最後の部分についてお聞きしたのです。 「もし、その青年に、ひのうちどころがあったとしいたら、どうなのですか。 ひのうちどころがあろうとなかろうと、部落差別を許すことはできないのではないか。 差別される部落の側に非があると、部落差別の原因を部落の人々に押し付ける風潮が増加する傾向にあるが、それは間違いではないか。 その青年が、自殺しないで、差別と闘い、差別をはねかえして生きていこうと、自分の住んでいる場所で解放運動をおこし、差別者に対して確認会や糾弾会をはじめたら、E先生はそれをどのように受け止められるのでしょうか。 自殺してなくなった青年に対して涙を流すことも大切であると思いますが、死なないで、部落解放のために、その家族や同胞のために闘っている被差別部落の人々に連帯して、共に部落差別解消に向けて努力する姿勢も大切ではないか。 社会同和教育の研修会においても、そのことをもっととりあげてほしいと、お話ししたことがあります。
私が牧会している教会の前任者が自害し、 神学校在学中、私の転会を認め教会員として受けれ入れて下さった東京教区の阿佐ヶ谷東教会に牧師として赴任して来られた、元西中国教区I教会牧師で教区の幹事、日本基督教団総幹事、農村伝道神学校校長を歴任された牧師の自害・・・、そのふたりの牧師に仕えた教会の古老が自殺・・・。 教会の上に。そして、私の上に重くのしかかる子の現実を、どのようにはねのけ、因襲深い地方の教会を再生していくか、そのような課題を持っている教会の牧師に、西中国教区は、さらに部落差別問題の取り組みという大きな重荷を背負わせたのです。 西中国教区によって押し付けられた部落差別問題をにないながら、絶望ではなく希望を、挫折ではなく再起を、逃亡ではなく解放を、死ではなく生を・・・、考えに考えてきた結果、私に見えるようになった、被差別部落の人々の流説できく姿とは違った、人間としての誇りに満ちた闘いの姿が、私の脳裏に深く刻み込まれることになりました。 講師に向けてなげかけた、「その青年が、自殺しないで、差別と闘い、差別を跳ね返して生きていこうと、自分の住んでいる場所で解放運動をおこし、差別者に対して確認会や糾弾会をはじめたら、E先生は、それをどのように受け止められるのでしょうか・・・」という問いは、私が自分自身に向けた問いかけでもありました。
部落差別問題に取り組めば取り組むほど、教区や分区・教会、牧師や信徒との間に、言葉に言い表せない亀裂と破れが生じ、疎外感と孤立感にさいなまれてきたことは、打ち消しがたい事実です。 「被差別部落出身ではないのだから、この辺で投げ出したら・・・? 」、そんな誘惑にかられながらも、山口県S市の被差別部落〇〇の、支部長さんや書記長さん夫婦、いつもあかるく元気に反差別を語るおじさんやおばさん、尋ねていくといつもひざにのってくる〇〇ちゃんや〇〇ちゃんの笑顔が、そんなこころの陰りを吹き払ってくれました。
被差別部落の人々と顔と顔を向かい合わせて話し合うことができるところで、誰も、差別意識を助長させることはできません。差別意識は、被差別部落の人々の顔の見えないところで、私が、抽象的・観念的に、一般的・通俗的に考え、自分とは関係がない問題として認識されるところで、ますます強化されより差別的なものになっていきます。
西中国教区は、かって、<部落伝道建議案>を成立させました。 私たちは、もう一度その原点に立ち戻って、今日的状況において、<部落伝道県議案>を実践してみようではありませんか。 被差別部落の人々の中に存在する<すぐれた被差別部落のひと>を探し出すためではなく、教会と被差別民衆とが顔と顔を向かい合わせて出会うために。
1995年のクリスマス・イブ、山口のちいさな教会に赴任してはじめての、ホワイト・クリスマスでした。 夜の冬の空に雪がちらつき、積りはじめていました。 小さな、ちいさな教会の中で、教会員と被差別部落の人々が集まって共に礼拝を守りました。 その時、松本治一郎の母親と同じ名前のおんなの子(書記長ご夫婦の娘さん)が、イブ礼拝に参加したひとりひとりのキャンドルに点火していきました。 一年一年、成長していくこどもたちが、被差別部落の新しい時代を築くことができるよう、そして、私たちの教会も、それと共に新しい時代を生きることができるよう、主イエス・キリストに願わざるを得ませんでした。